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あきらめのカタルシス

2025年2月20日


KAORIです。

やっとお別れする決心がつきました。

いや実質的には、私が半身まひの不自由な体になった時点で予測できたことなんです。

障がい者となり6年が過ぎ、たくさんの事をあきらめてきた私がいます。

とりわけ大好きだったハイヒールの靴を履けなくなったことは悲しさの極みです。

ぺったんこの靴でも歩き方を忘れた私の体は、高いヒールの靴に相手にされるわけもなく、

あきらめざるを得ないのです。

未練たらたらながらも、徐々に手放していこうと思いました。

そこで去年、メルカリに初出品してみました。

売れたら嫌でもお別れできる・・・小市民な私のいたいけな発想です。

今の私は、足が正しく地面につくように足首を固定する装具をつけています。足幅も厚みも片方だけ大きくなります。

その装具をつけていても履ける靴を誂えることにしました。

値段はかかりましたが、細かくサイズを採った靴は今の私に優しく寄り添ってくれるはずです。

諦めると決めると色んな可能性がみえてくるものです。

 

人とのお付き合いもそうです。

健常な頃、行動を共にし楽しんでいた人達とも、自由に出かけることができなくなりました。

当初こそ皆さん優しい気遣いから私に合わせてくれていましたが、それが心苦しい私は自然と遠のくようになりました。

皆さんもまた新しい誰かと以前のように楽しんでいるようです。

それを知った私は、「早く動けるようになって、以前のように一緒にお出かけしたいな」と焦ってリハビリをしました。

しかし一朝一夕に良くなるものではありません。

とうとうあきらめの境地になりました。

すると不思議なもので、物事を俯瞰するようになりました。

健常なあの頃一緒に楽しんだあの人達は、そういう縁の人達だったんだ・・

お互いが良い状態の時に一緒に楽しむご縁の人だったんだな・・と。

しかし今大事にすべきご縁は、良くない状態の私でも、なんとか一緒に楽しめないかと考えてくれる人達ではないのか・・

そんな風に思い始めた矢先に、昔仲良かった人達から連絡がくるようになりました。

中学・高校の同級生や、子供の幼稚園のママ友等です。その人達は「どうすれば一緒に遊べる?」ときいてくれます。

また知り合いの人の中でもこの体になったからこそ、より親しくなった人もいます。人の縁は不思議です。

 

 

諦めるということには一種の浄化作用があるのかもしれません。

諦めるとすっきりする・・すっきりすると次の考えが浮かんでくる・・ということでしょうか。

件(くだん)のハイヒールですが、メルカリに出品してても一向に買い手がつかないので、

諦めて先日家族に「もう処分してほしい」と頼みました。

すると今日になって、最もお気に入りだった靴に値段交渉のメッセージがきていることに気づきました。

さあ小さなお商売の始まりだ!

諦めたら入ってくる。

これ真理かも・・

 

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